03 08 2017
自主制作映画までの道程③
僕が就職に選んだのは、地方銀行だった。
若い時に見た「映画の世界」と「現実の銀行の世界」は面白い様にギャップがあった。
それはもちろん学生から社会人になると、誰もが感じる事だと思うが、僕が見ていた映画の世界と銀行の世界は両極端だった。人一倍、映画を見ていた僕には銀行の世界を物足りなく感じていた。
「銀行という仕事は僕には向いていない」
ずっとそう思っていたが、不思議な事に仕事を続けていくと
銀行の仕事に馴染もうとする自分がいた。
馴染もうとしながらも、心の奥底では、若いころに見た映画の世界に憧れがあったのだと思う。
「いつか銀行を辞めて何か他の事をしたい。」
そんな事をぼんやり考えていた。
しかし当時の僕には何のアイデアもなく、ただ毎日を消化するだけの日々だった。ローンで車を購入し、土日はゴルフ接待。週に3日は会社の飲み会。体重も90kg近くなっていたし、肝臓も最悪の状態だった。気づけば銀行からの借金は数百万円になっていた。
僕は毎月のローンの返済のため、飲み会に参加するため。
お金の為に仕事をする様になっていた。
そして僕は入社して10年目に銀行を辞めた。
それは神様が導いてくれたのだと信じているが、辞めた時は何かと大変だった。次の仕事も決まってない状況で、僕は銀行に借りていた借金を返す必要があった。貯金がほとんどなかった僕を多くの友人が助けてくれた。僕に仕事を与えてくれたり紹介してくれたりした。
僕は1日20時間働いた。
そんな生活を約半年続け、ようやく借金を返済した。
借金を返済した僕は旅に出た。
つづく。。
ずっとそう思っていたが、不思議な事に仕事を続けていくと
銀行の仕事に馴染もうとする自分がいた。
馴染もうとしながらも、心の奥底では、若いころに見た映画の世界に憧れがあったのだと思う。
「いつか銀行を辞めて何か他の事をしたい。」
そんな事をぼんやり考えていた。
しかし当時の僕には何のアイデアもなく、ただ毎日を消化するだけの日々だった。ローンで車を購入し、土日はゴルフ接待。週に3日は会社の飲み会。体重も90kg近くなっていたし、肝臓も最悪の状態だった。気づけば銀行からの借金は数百万円になっていた。
僕は毎月のローンの返済のため、飲み会に参加するため。
お金の為に仕事をする様になっていた。
そして僕は入社して10年目に銀行を辞めた。
それは神様が導いてくれたのだと信じているが、辞めた時は何かと大変だった。次の仕事も決まってない状況で、僕は銀行に借りていた借金を返す必要があった。貯金がほとんどなかった僕を多くの友人が助けてくれた。僕に仕事を与えてくれたり紹介してくれたりした。
僕は1日20時間働いた。
そんな生活を約半年続け、ようやく借金を返済した。
借金を返済した僕は旅に出た。
つづく。。