11 25 2015
お遍路さん
9月初旬に突然メールが来た
’私たちはフランス人です。お遍路を周るために四国に向かいます。そちらに泊まらせてください。’
簡単なメッセージだった。
メールには「巡礼の間、荷物を預かって欲しい」というメッセージも添えられてた。
部屋は確保したが、いつからいつまで荷物を置くのか。また荷物の大きさはどれくらいなのか。
そういったものを確認しないと承諾はできないため、私はすぐに返信をしたが彼らからメールはなかった。
最近は海外からのお遍路さんも多いと聞くが、四国1周を歩くとなると並大抵の気持ちでは無理である。
興味本位で巡礼に挑戦しようと考えているのかなと思った。
メールが来たのは宿泊する2日前くらいだったと思う。
荷物の確認が取れたので お遍路の間の約2ヶ月間、荷物を預からせてもらうことを承諾した。
10月2日彼らがやってきた。
とても礼儀正しい人達だった。
話を聞くと、彼女は飛行機が苦手らしくて、フランスから陸路で四国に来たらしい。
フランスーロシアーウラジオストックー新潟ー四国
このルートで来たということであった。
つまりその間はインターネット環境がなかったためメールを送れなかったということであった。
私なら、お遍路をまわる以前に、このルートを考えただけで旅を断念しそうである。
しかし彼らは普通電車を乗り継いで1ヶ月かけて日本にやってきた。
それだけで彼らの意思の強さを感じることができた。
到着後2日間TAに滞在して必要道具や情報を仕入れ、その後巡礼の旅に出るということであった。
出発の前日、彼らの旅をサポートするべく数日間のお寺の道のりやバスの手配、宿の手配を手伝った。
「出発時間を考えたら初日は3番札所付近で宿を手配すればいいのでは。」
お遍路エキスパートの友人S君から仕入れた情報をもとに、その付近で宿を手配するがどこも満室であった。
フランスからゲストが来ているから、どこか空いている宿を紹介して欲しいと依頼するも、どこも相手にしてくれなかった。
宿の対応に苛立ちを覚えながら私は思いついた。
「お寺ならお遍路さんに部屋を開放していて、無料で泊まらせてくれるのでは?」
私はすぐにお寺に電話をした。
「お部屋空いてますよ」
住職さんはそう答えた。
「無料で寝れますか?」
もう一度聞くと、
「1泊2食付で一人8000円です。素泊まりでも料金は同じくらいです。」
なかなか良い値段である。
それを二人につたえると、「ありがとう。そのお金は私達にとっては高価すぎます。テントもあるので、なんとかなると思います。」と強い眼差しで私に答えた。
翌日、彼らは出発した。
僕は前日の遍路宿の対応の悪さに若干の不安を抱きながら
「ここは日本だから最悪野宿でも君たちに大きな危険はないと思う。」
そう伝え彼らを見送った。
それから約2ヶ月。
11月23日。
「私たちは明日高松に帰ってきます。TAを拠点に84番札所〜88番札所を回りたい。」
彼らからメールがきたのだ。
僕はすぐさま彼らの部屋を確保した。
2日後の11月25日早朝、彼らは帰ってきた。
二人とも少し痩せたような感じがあったが元気そうであった。
僕は淹れたてのコーヒーを彼らに渡し、
お遍路の旅はどうだったかと聞いた。
彼らの第一声は驚くべきものだった。
「ここの人達はとてもクレイジーだ。」
やっぱり何かトラブルがあったのか。。
僕は出発の遍路宿の対応等が頭によぎり、少し嫌な想像をした。
しかし彼らは興奮した口調で続けた。
「四国の人達はクレイジーだ。行く先々で私達に食事を与えてくれた。足を怪我した時は無料で車に乗せてくれた。無料で泊まらせてくれる人もいたし、中には私達にお金をくれた人までいた。たくさんの人の温かさに胸を打たれた。ここは最高の場所だ!」
私はお遍路接待という言葉は昔から聞いていたが本当にここにあったのだ。
彼ら外国人からしたらそのような行動は恐らく理解し難い部分があったのだろう。
それを一言で表すと「クレイジー」となったのである。
それはお遍路88札所を回った人でないと、得れない特別な経験であり、言葉では語り尽くせない体験なのだ。
お遍路さんには、江戸時代初期に「四国遍路」という言葉と概念が定着し、巡礼は信仰者の義務ではなく修行僧や僧侶、後には庶民も祖霊供養や宗教心を探るために自ら決意して実行してきた歴史がある。
他の巡礼地に比べて、現世御利益という意味合いよりも、病回復や懺悔といった負のイメージが強い。いままでの自分を改めるという意味でお遍路巡礼に向かう人もいる。元巨人の清原和博選手もそのようなイメージだと思う。数百年の遍路の歴史のなかで、悩みを抱えてお遍路巡礼を回った人達の多くが、その悩みを克服したと語っているように、それを実現した時に得られるものこそが、彼らが感じた「四国人の温かさ」であり「クレイジー」なのではないかと思う。
「人は多くの人に支えられて生きている。」
お遍路巡礼はその事を直接肌で感じられる、最高のユーザーエクスペリエンスなのである。
四国4県ないし、香川県の観光にとって目指すもののヒントはお遍路にあるのではないかと思う。
東京や大阪といったビッグシティーにはないもの。
ここには新しい建物や、綺麗なビルディングなんかいらないのである。
四国にはたくさんの良い場所や食べ物、景色がある。
しかし四国の本当の観光資源は「ここに住んでいる人。」
つまり私たち全員が観光資源なのではないかと思う。
香川県は来年瀬戸内国際芸術祭を控えており、恐らく多くの海外旅行者がここを訪れるだろう。
これからは私達一人一人が四国人として高い意識を持ち、観光客を受け入れていく必要があるのではないかと思う。
そういう意識をここに住む人達が持った瞬間に
「香川にはアートや直島があるけど、もっと素晴らしいものがある。そこに住んでいる人達が素晴らしいらしい。その人達に会いに行こうぜ。」
Web上や口コミで広がった時、おそらく四国及び香川県が真の国際地方都市になっているのであろう。
そういう街を作るのは私達一人ひとりなのである。