01 17 2026
ヨーロッパ トリップ 2025【Vol.2 マラケシュ〜エッサウィラ】
レンタカーを借りて車を30分走らせると赤い土壁の建物が街並みが見えてきた。
舗装されてない道を通る度に土埃が舞い上がる。 車を降りた途端に排気ガスとホコリを含んだ乾燥した空気が身体に入ってくる。 これが独特なもので、空気の中に森や植物を全くない感じない。 エアコンの室内機から出る風と言えば最もらしい表現だろうか。
その風に埃と排気ガスが含まれてる物だから、空気を吸う度に喉と鼻の乾燥が酷くなり時折、咳がひどく出る。
高松の家を出発して48時間。ほとんど寝ずにここまで来たものだから疲労も限界に近づいてる。 早くホテルに到着して休みたい気持ちが強いのだが、 ホテルはマラケシュの旧市街にあり、細い路地が入り組んでいて半分迷路のようになっている為なかなかホテルに辿り着けない。

ここでは日本のような交通ルールはあてはまらない。 行けるなら進む、行けないなら引き返す。 半分迷っていると地元の若者がこれ見よがしに付いて来いと手招きする。 大凡の意図は分かったが、チップを払って誘導してもらった方が良いだろう。 僕らは彼らの後を付いて行くことにした。 路地の奥にはパーキングなのか、人の敷地か分からないピロティーみたいなのがあり、ここに停めたら大丈夫と案内された。 怒られたらその時に対処しよう。 とりあえず車を停めて彼らに荷物を運んでもらうのを手伝ってもらう。 現地時間の21時にようやくマラケシュのホテルに到着した。

ユキオが僕のフライト疲れを心配して、かなり良いグレードのホテルを予約してくれていた。 モロッコでは宿のことをリヤドと言いうが、かなり高級なリヤドである。 1500ディルハムしているから日本円にして約3万円の計算になる。 ホテルにはモロッコ式のハマムも完備しているようだ。
チェックインを終えて荷物を部屋に入れる。 腹ペコだった僕達はとりあえず夕飯を食べに町へと向かうことにした。 フロントにパーキングについて確認すると、やはり駐車しては行けない場所だったようで、旧市街の城壁を抜けたパーキングに移動することにした。

町ではジェラバというフード付きのゆったりとした長袖のローブを纏った人達で溢れている。 ネズミ男が着てる物といえば分かりやすいだろう。 建物の景観とジェラバを身に纏う人をみて、ようやく旅に来た実感が湧いてくる。 モロッコは実に7年ぶりである。

前回モロッコに来た時にはサハラ砂漠を移動しながら生活するベルベル人という遊牧民族のテントで宿泊させてもらった事がある。彼等は必要最低限の物しか持たず、毎日を生きていく。そんなベルベル人の生き方、考え方に触れて以来、ベルベル人の生き方に憧れを抱いていた。モロッコにはそのベルベル人が定住して作った街が数多くある。
「ベルベル人の街に行ってみよう」
「西側にあるサーフポイントでサーフィンしよう」
僕たちはモロッコに到着した最初の夕食でようやく具体的なプランを話合った。

夕食もほどほどにしホテルに戻り睡眠を取る事にしたが、砂漠気候のため夜になるにつれて寒さが増していく。 冷暖房のエアコンもあるが、ほぼ暖房は効かない様子だったので、仕方なく重ね着をして眠りにつく事にした。

翌朝7時半に目が覚めた。 外はまだ薄暗い。 昨夜は24時には眠りについたので、約7時間は寝たことになるが、体がやけに重い。。 どうも僕の体質的に西に向かうと時差ボケがひどくなるようだ。
屋上にテラスがあるという事だったので朝日を見に行ってみる。 とにかく街並みが美しい。美しさの一つを担っているのは均一化された建物の高さが一つの要因だろう。 誰もがテラスに出れば広い空を見渡せる。 また外はなんとも言えない空気だった。

空気はひんやりと冷たく、全く湿度がない完全に乾燥した空気で、50km先くらいの音も耳を澄ませば聞こえるのではないかという程、空気は澄んでいた。東の空が朝焼けしはじめたと同時にスカンジナビア半島から渡ってきた渡り鳥達やコウノトリ達が通勤ラッシュのごとく西の空に向かって飛んでいく。 8時半になりようやく朝日が昇り出す。 西の空にはまだ満月が神々しく輝いていた。
イスラム教の国は国旗に月が描かれている事が多いが、イスラムの国で月を見ると国旗に描く気持ちが分かる。

朝の景色を堪能した僕達はその足で朝食を頂く事にした。 モロッコの主食はパンなので、パンを中心とした朝食メニューだった。

普段なら朝食を食べると身体からエネルギーが溢れて体温も上がってくるのだが、昨夜の冷え込みで思った以上に身体が冷えていたので、太陽の力を借りて身体を温める事にした。
20分もすれば身体は十分に温まってきた。

僕達はチェックアウトの準備をして荷物をフロントに預けてフナ市場に向かう事にした。
前回のフナ市場ではヘビ使いに蛇をクビに巻かれて、自分のカメラを取り上げられて勝手に撮影され、撮影代を払えと大人数に囲まれてお金を巻き上げられそうになった経験があり、ヘビ使いには注意する必要がある。
フナ市場は予想通り、凄まじい喧騒で10分もいられずにホテルに戻る事にしたので、ヘビ使いに絡まれる事はなかった。
僕は時差ボケからくる体調不良なのか、マラケシュの空気から来るものなのかは分からないが、異常に咳込むようになってきた。

モロッコの通貨はディルハムといい、ユーロ換算する場合はディルハムから0を引く計算になる。 例えば100ディルハムの場合、10ユーロとなり、日本円で換算する場合1900円という計算になる。 2018年時はモロッコの物価は安く割安感があったのだが、ディルハムに対しても日本円は安く、ここでも円安の打撃を喰らう事になった。

ちなみに参考までに屋台のザクロジュースは1杯30ディルハムだったので、3ユーロ(約600円)となる。

手作りかつ搾りたてなので、日本ではこの値段で買えないだろうが、、。

ホテルの帰り道にダンディーなスーツを着こなす人がいたので撮影をさせてもらう。

マラケシュ名物のコウノトリも仲良く夫婦でのんびりしている。

マラケシュを出発する前にスーパーでビールをまとめて購入する。
モロッコはイスラム教の為、酒は御法度なのだがスーパーなのどでは手にいれる事ができる。
しかしスーパーでも販売時間に制限があったり、売ってない場所があったりするので、ビール党には少々辛い。
なのでモロッコではビールを見つけたら即買いが鉄則なのである。

今日はマラケシュから西に向かった港町エッサウィラで宿を予約している。
とりあえず僕達はマラケシュの喧騒から抜け出す為、車でエッサウィラを目指した。

車で約2時間走らせたシカウアという町で休憩する事にした。 幹線道路沿いにあるレストランでは多くの地元民で溢れていた。
知らない町に来た時には、地元民で溢れているお店は間違いない。
これは長年の旅で得た教訓でもある。 その店を選んだのは多くの人で賑わっていたのに加えて、店先でバーベキューをしていて羊肉を焼く香ばしい匂いとスパイスの香りがまざって何とも言えない食欲を刺激する匂いがしていたからだ。
満場一致でその店に入ることにした。
モロッコのレストランやバーベキューを提供しているところは肉屋と併設しているところが多い。 この店も同様にBBQの後には解体された羊がぶら下がっている。 そこで肉を購入して焼いてもらうスタイルのようである。


僕達は羊肉のタジンに、羊肉のBBQそしてモロッコサラダを注文した。 モロッコサラダは味付けは塩胡椒で具材にはトマトに玉ねぎ、パクチーそしてオリーブを添えたシンプルな物だが、これが抜群に美味しくモロッコ滞在中はこのモロッコサラダを終始食べていた。モロッコは生野菜をあまり食べる文化がないようで野菜補充にもうってつけであった。 そしてモロッコで料理を注文すると、必ず「ホブス」と言われる円盤上のパンがついてくるのだが、昔給食で食べたコッペパンとフランスパンが合わさった味がしていてとっても美味しい。

これにモロッコサラダやタジン、肉を入れてサンドイッチにしたりすると本当に美味いのである。 観光地から外れた場所で地元民が集まるレストランという事もあり、二人で150DHL(日本円にして3000円程度)と手頃な金額だった。
腹ごしらえを終えて、エッサウィラに向かう。
時間はもう夕方の17時に迫っている。ここからは1時間くらいなので暗くなる前には到着できそうだ。 途中でオレンジをトラックに詰め込んで販売している行商がいたので僕達は袋いっぱいのオレンジを購入した。

エッサウィラの宿に到着したのは18時半だった。 まだ空はギリギリ明るかった。
エッサウィラの緯度は北緯31.5度なので、日本でいうところの鹿児島あたりだろう。
車を停めて早速、宿に荷物を運ぶ。

本日の宿も屋上にテラスがある。
荷物を降ろして早々に僕達はスーパーで買ったビールで乾杯した。


屋上ではセグロカモメが休憩していた。
ビールを飲み干したその足で夕食を食べに街へ出かける事にした。
街までは徒歩で20分くらいなので、良い運動にもなるだろう。

街までの途中、公園のような場所で子供が電飾されたカートで遊んでいた。
モロッコの暗い道で遠くからこのカート見ると一瞬、幻覚でも見てしまったかと不思議な感覚になるが、近くで見るとなんとも微笑ましい。

街頭も少し丸みを帯びるだけで見え方が変わるから面白い。
旧市街のメディナに入ると多くの人で賑わっていた。

少し咳が出てきた事もありメディナ(旧市街)の中で水分補給に搾りたてのオレンジジュースを購入する。
これが抜群に美味しい。

モロッコの子供達はどこでも夜遅くまで遊んでいる。
先程のカートといい、子供が遊んでいる姿はなんとも明るい気持ちにさせてくれる。

旧市街のメディナを抜けてクスクスのレストランに入る。
どうやらここではアフリカの伝統的なグナワ音楽をLIVEで聴きながら食事ができるようだ。


僕達はイカのクスクスとタジンとノンアルコールドリンクを注文し、早速、グナワ音楽を聞き入った。

三本弦の低音ベース「シンティール (Guembri)」や鉄のカスタネット「カラカブ (Qraqeb)」が特徴的な演奏が繰り広げられ、トランス状態を生み出すのだが、頭上では鳥達が音楽に合わせて暗闇を舞台にダンスを繰り広げていた。
2025年最後の旅の始まりにぴったりな音である。

LIVEも終わりお会計をしようとすると、600ディルハムというではないか、 600に0を引くとユーロになるので、60ユーロ(日本円に換算して約12,000円)と、なかなかの価格である。
地元民が行くレストランはそうでもないが、観光客が来るレストランは良い値段がしてる。 これから約1ヶ月も旅が続くので節約をしていかなければ予算オーバーとなってしまう。
グナワ音楽でトランス状態に入った僕は身を引き締める思いで支払いを済ませ、宿へ向けて徒歩で帰る。

暗闇が深くになるにつれて気温がどんどん下がってくる。
宿に到着した頃には、寒さで震えるほどだった。

日本を出発する時にもらった生姜湯で身体を温め、屋上のテラスで明日からのプランを練る事にした。
エッサウィラに着いて数時間ではあったが、この町の雰囲気が気に入り僕達はもう一泊する事にした。
モロッコに詳しい友人からエッサウィラのおすすめホテルを紹介されていたので、屋上テラスのベンチで横になりながら早速予約を入れる事にした。
時計を見ると24時になっていたが、僕は時差ボケのせいか全く眠気がないので、ベンチで少し空を眺めていた。
そうすると隣にいたユキオがふと、これまでの二人の旅について語り出した。
「そういえば大ちゃんが初めてヨーロッパに来たのは2012年だったね。一緒にヨーロッパを巡ってドイツでクリスマスを過ごした。」
「そうそう。確かクリスマスに合わせてアムステルダムから電車でドイツに帰った記憶がある。すごい満員電車でスーツケースを肩に担いで電車に乗り込んだ(笑)。しかも大雪で電車も止まったりして大変だったけど良い思い出だね。」
「確か2011年に僕が日本に行った際に、野球場のバックネット裏でドラム缶に火を点けて2人でキャンプファイヤーしたよね。その時に大ちゃんが来年、ドイツに行くわ言って、そして本当に翌年にドイツに来たものだから、ちゃんと約束守る人だなーって思ったのを覚えている。」
ユキオの母親、つまり叔母さんは僕の母親の妹にあたり、ドイツ人のご主人と出会い国際結婚で結ばれた。 叔母さん夫婦は0からエネルギー関連の会社を立ち上げて、各国省庁と仕事をするくらいまでになった。 その為、日本での取引先も増えて年に数回は仕事も含めて帰国していた。
そんな事もあり、従兄弟達も小さい時から留学生として高松の小学校に通ったり、大人になってからもインターンで日本の会社で働いたりした。
叔母さん夫婦や従兄弟は昔から日本との関わりが多くあったのだが、僕達はなかなかドイツに行く機会もなく、高松の家族で初めてドイツに行ったのが僕の祖母だった。 そして僕が2012年にドイツに行ったのが日本の家族で2人目だった。

2人でそんな話をしていたのだが、ここまで深い話が出来るのは全てユキオが日本語ができるおかげである。 ユキオの努力もそうだが、もっと言えば叔母さんが日本の家族との繋がりを大切にしてくれて、ユキオに日本語の教育をしてくれたおかげでもある。
そのお陰で僕達はこのモロッコの夜空の下で語り合えているのだ。
「お母さんには本当に感謝だね」
ユキオが360度広がるモロッコの夜空を見ながら呟いた。
「叔母さんもきっと俺達の旅を喜んでくれていると思うな」
叔母さんは2021年コロナ禍の際にガンでこの世を去ったのだが、その時は海外渡航もままならなかった為、僕たち日本の家族は最後を看取ることができず、最後に会う事も叶わぬままお別れをしたのだった。
夜空にはまだ満月に近い月が僕達のいる屋上のテラスだけをスポットライトのように神々しく照らしていた。 その月の道に沿って1羽の鳥が僕達の頭上を横切ろと飛んできた。
僕はさっきのレストランの上空で時間を忘れて踊り続けた鳥がて急いで帰路についてるように見えた。
「おいおい。ウンコ落とすなよ〜!!」
それを見つけたユキオが鳥に向かって囁きかけていた。
確かにこんなところで上からフンを落とされたらたまったもんじゃない。あいにく鳥はフンを落とすことなく月が輝く方向に向かって静かに飛んでいった。