再建③

みなさんこんにちは。


Traditional Apartment管理人のDaisukeです。

前回、街から郊外へ人が移って行った流れを書きましたが、実はこの時期は市街地も都市化を目指し大きく変化していった時期でした。

その流れとして

1996年、高松中心部の
琴電瓦町駅が駅ビルとして生まれ変わりました。

これは地元の電鉄会社である琴電と、大手デパートのそごうが合併会社を設立し、

コトデンそごう

として経営をスタートしたものでした。

郊外にイオンや、ゆめタウンが出来る前でしたから、当初は明るい話題として、街に多くの人が買い物に来る様になりかなりの経済効果が生まれました。

しかし、コトデンそごうの開店を追う形で、1998年に高松市郊外で、ゆめタウンがオープンし商業施設における人の流れも変わっていきました。

1995年頃の瓦町駅周辺と現在のことでんビル周辺

1995年頃のコトデン事務所と現在


1995年頃の塩上町踏切

地下道と現在


高松は繁華街及び歓楽街は南新町、トキワ街、田町、丸亀町、片原町、ライオン通り、兵庫町といったいくつものアーケードの集合体からなるもので、各々がカラーを出して発展しています。

全てのアーケードの長さは

日本一を誇る長さとなってます。

コトデン瓦町駅が、駅ビルと変わる前、駅の改札は、トキワ街という商店街の入り口に向かい合う形でありました。それにより通勤、通学の人たちはトキワ街から入り南新町、丸亀町といった商店街を通行していました。

しかし駅ビルが完成し、駅の改札が商店街には面していないところに移転されると、それまでトキワ街から入って通行していた人たちはアーケードとは関係のない道路を通勤、通学として使用する様になりました。

駅の改札移転や、郊外に大型店舗ができたこともあり、商店街の利用者はみるみる減っていきました。

地方の商店街が抱える問題同様、高松のアーケードも同様に空き店舗が増え、町のゴースト化が進んでいきました。

「地方は郊外の大型店にやられている。これでは将来は暗い。しかし、郊外の大型店は固定資産税の支払いも少ない上、利益は本社の東京に行き、地方自治体の税収は減るばかり。地方は、地域で経済が循環する仕組みをつくらなければ、これからますます厳しい時代がやってくる(高松丸亀町商店街の古川康造理事長)

その考えのもと立ち上がったのが

丸亀町商店街でした。

丸亀町商店街の取り組みは全国的に見ても非常に珍しいものでした。
「所有と利用の分離」を実践し、
62年間の定期借地権」を利用して、
再開発を実施、成功させました。
簡単に言うと、
『商店街の店舗を区画ごとに分けて一度壊し


て、区画ごとに大きな複合施設を建てよう』
新しく建てた複合施設については、もともと持っていた土地(店舗)の面積分に応じて62年間は貸したり、住んだり、そのまま店舗として利用する権利を与えますよ。
というものでした。

最盛期1,000人だった人口は開発前には75人まで減り、街全体の活気がなくなっていましたが、その考えが成功し、シャッター通りになりつつあった古くからの商店が、人気店が並んだショッピングモールのように生まれ変わりました。
古川理事は開発に至った考えについて

そもそも商店街ができて、人が集まったわけではない。その逆で、人が住んでるところに商店街ができたわけです。だから、再生に当たってまずは人を増やそうと思った

と述べています。

中心部に人を増やそうと考えた丸亀町商店街が再開発以外に行ったのは
平均相場より4割も安いマンションを建設。→即完売(これには裏話もありますがここでは伏せておきます。)
再開発で衣食住や病院を完備→住民が増える
JR高松駅まで片道100円のバス事業を運営→バス事業は年間400万円の赤字。
しかし町営の駐車場を3つ経営。→年間2億円の利益計上。
町の再開発だけではなく雇用促進にもつなげていきました。

この取り組みは全国でも評価を得て、安部総理が視察に来るなど商店街の再生モデルとして注目されました。

こうして少しづつ街にも人が戻ってきました。

長くなりましたので、続きは次回に。

Good Day go on a  Best Trip !!


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