再建②

みなさんこんにちは。
Traditional Apartment管理人のDaisukeです。

本日は気持ち良い天気ですね。

前回、第二次世界大戦後の区画整理事業までをお話させていただきましたが、前回の続きを少しお話させていただきます。

終戦後、瓦町駅を挟んで西側が、オフィスやショッピングエリア、飲食店がある繁華街となり、東側は町工場が立ち並ぶようになり下町となっていきました。

東京でいうと

瓦町駅西側が銀座、丸の内、新宿。

東側が浅草、上野、両国。

といったイメージでしょうか(規模は全くもって違いますが(笑))。

みなさん映画ALWAYS 3丁目の夕日ご存知ですよね?
まさしくあの光景です。

駅東側にある塩上町は下町風情そのままに鮮魚店、八百屋、材木店、大工さん、駄菓子屋さんといったお店や、会社、町工場が沢山並んでおりました。

Traditional Apartmentがある場所もこの時代

ペンキ屋さんとして営業していました。

そうです。
ここは職人さんが居住するアパートとして建てられたのです。

※昔の写真をお借りしました。ほんとALWAYSの雰囲気ですね。

しかし時代の流れとともに、だんだん町工場や大工さん、職人さんは少なくなりました。
そうなると近くにある商店もお客さんが少なくなるので、経営が難しくなっていきました。

そして1988年、Traditional Apartmentの前身であるペンキ屋さんも後継者問題により60年続いた会社の歴史に幕を閉じました。。。。

町にあった商店の灯りが、ひとつ、またひとつと消え、町の様子がどんどん変わっていきました。
そうなると町に住んでいた住民は少なくなり、町からは子供達の姿が消え、様子が大きく変わっていったのです。

そして高松の町を語る上で大きな出来事がありました。

レインボー通り、サンフラワー通りという郊外に大通りが出来き、アメリカ型の郊外型店舗が建設されていきました。

それに伴う形で高松市では2004年に

市街化調整区域と市街化区域の線引きが外され、原則どの場所にも建物が建てられるようになりました。

一般的には難しいといわれる農地から宅地への転用を申請だけで可能として、農地も含め、実質無制限にどこでも建物を建てられるようになりました。
その結果、パワービルダーが地主へ営業攻勢をかけ、農地にアパートを建てていったのです。
郊外で安く仕入れた土地で建物を建てるわけですから、市内で建てるよりも安く建てることができます。少し郊外に行けば新築物件でも安い賃料で住むことができます。

おまけにレインボー通りなどの郊外型店舗が充実しているわけですから、郊外に住んでも何ひとつ不自由はしません(いまは車社会で、ひとり1台が普通の時代です)。

街中で住めば駐車場代も必要になります。
郊外であれば駐車場代はタダ同然です。

そういった法規制も重なり、高松市街地からかつては農地だった郊外に移り住み、市街地からは人が減るという空洞化現象が起きました。

そうなると市街地にできるのは新築ビルやアパートではなく、コイン式のパーキングになります。

塩上町も例外ではなく、数十年前の光景とは全く変わった町になってしましました。。。

長くなりましたのでまた続きは次回に。

Good Day go on a  Best Trip !!

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