03 10 2017
自主制作映画までの道程⑤
Traditional Apartmentがオープンして1ヶ月が経過した頃、
部屋を掃除しているとゴミ箱に捨てられている大量の観光MAPや情報誌が多い事に驚いた。
僕は自分達の地元を発信していく為に、捨てられる情報誌ではなく、持って帰ってもらえる情報誌を作ろうと考えた。
僕はキックボクシングジムで知り合ったカメラマンの井上さんに声をかけて協力を得た。
また香川大学の学生も協力してくれる事になった。
冊子を作るうえで、大切なのは、「捨てられずに持って帰ってもらうこと」
また、持って帰った冊子で、家族や友人達に香川の思い出を語ってもらいたいと考えた。
その為には普通の本では面白くないし、従来とは違った発想が必要だった。
考えた末、「本が動き、ストーリーを語ってくれたら面白いのに」という案がでた。
僕達はクラウドファンティングで資金を集めて、冊子作りに挑んだ。その冊子には当時は珍しかったAR技術を組み込み、本で動画が見られる仕組みを作った。
また香川大学の学生も協力してくれる事になった。
冊子を作るうえで、大切なのは、「捨てられずに持って帰ってもらうこと」
また、持って帰った冊子で、家族や友人達に香川の思い出を語ってもらいたいと考えた。
その為には普通の本では面白くないし、従来とは違った発想が必要だった。
考えた末、「本が動き、ストーリーを語ってくれたら面白いのに」という案がでた。
僕達はクラウドファンティングで資金を集めて、冊子作りに挑んだ。その冊子には当時は珍しかったAR技術を組み込み、本で動画が見られる仕組みを作った。
【ARについてはこちらをご覧ください】
↓↓
https://youtu.be/OY1aRr9DIKM
完成した本はとても評判が良く、1000部全てが無くなった。
本に組み込んだ動画は、ストーリー性を持たせた動画となっていて、僕はその動画のストーリーを描きながら、動画制作の面白さに取り憑かれていた。
そして、第一弾の完成から数ヶ月が経ち、第二弾を作りたいと構想を描いていた時に、
(株)活性化本舗さぬきの中井さんから「与島の活性化に協力してほしい」というメールが入った。
与島は、瀬戸内海に浮かぶ人口約100人程の小さな島で瀬戸大橋を車で通ったことがある人は与島PAがある島といえば分かるのではないだろうか。
本に組み込んだ動画は、ストーリー性を持たせた動画となっていて、僕はその動画のストーリーを描きながら、動画制作の面白さに取り憑かれていた。
そして、第一弾の完成から数ヶ月が経ち、第二弾を作りたいと構想を描いていた時に、
(株)活性化本舗さぬきの中井さんから「与島の活性化に協力してほしい」というメールが入った。
与島は、瀬戸内海に浮かぶ人口約100人程の小さな島で瀬戸大橋を車で通ったことがある人は与島PAがある島といえば分かるのではないだろうか。
かつて与島は採石業で栄えたが、瀬戸大橋の開通を機に観光業にシフトした。しかし、ブームが去ると同時に観光業も衰退し現在は主となる産業は無くなった。
島民のほとんどが75歳以上の高齢者で、現在は島に子供はいない。
僕も子供ながらに瀬戸大橋の開通の様子をテレビで見て、与島に人が押し寄せる映像が流れ驚いたのを覚えていた。
与島のイメージといえば与島PAが頭に浮かぶ。
僕達は島民を交えての座談会に参加した。
そこでは各々が自由意見を出し合って島の未来について考えた。
いろんな意見が出たが、どれも話しが大き過ぎて、僕にはついていけない内容だった。
もちろん自由な意見を出し合うという場であったので、想像力を働かせて空想的な話しをする事も大切だ。
そんななか28年3月に瀬戸内国際芸術祭が開幕した。
僕は、瀬戸内国際芸術祭で賑わう「島」を見ながら、かつて瀬戸大橋ブームで沸いた「与島」を思い出した。
僕達は自分達の出来る事を考えた。
そして「島の活性化」に関わる人達の動向や、島民の動きをカメラに収めようと考えた。そして黒淵を加えた3名のクルーで撮影を開始する事となった。
そこでは各々が自由意見を出し合って島の未来について考えた。
いろんな意見が出たが、どれも話しが大き過ぎて、僕にはついていけない内容だった。
もちろん自由な意見を出し合うという場であったので、想像力を働かせて空想的な話しをする事も大切だ。
そんななか28年3月に瀬戸内国際芸術祭が開幕した。
僕は、瀬戸内国際芸術祭で賑わう「島」を見ながら、かつて瀬戸大橋ブームで沸いた「与島」を思い出した。
僕達は自分達の出来る事を考えた。
そして「島の活性化」に関わる人達の動向や、島民の動きをカメラに収めようと考えた。そして黒淵を加えた3名のクルーで撮影を開始する事となった。